ウインザー公爵夫人 王冠を賭けた恋
サザビーズ
1987年、サザビーズで行われたオークションで、前代未聞の大成功をおさめます。
イギリス国王エドワード8世との「王冠を賭けた恋」で有名な、ウインザー公爵夫人が生前に集めていた、200点をこえるジュエリーのオークションです。
「王冠を賭けた恋」の実在のヒロインの宝石ジュエリーなので、サザビーズは、ウインザー公爵夫妻の恋物語を前面に押し出すことでオークションを成功させようとします。
オークションに出品するカタログを製作するときに、宝石ジュエリーの写真と、その宝石ジュエリーを身につけたウインザー公爵夫人の写真を並べたり、或いはウインザー公から宝石ジュエリーとともに贈られたギフトカードの一文を引用したりしました。
そして、思惑どおりに新聞や雑誌にも報道されて爆発的な人気を呼ぶことになります。
オークション当日
ジュネーヴのレマン湖畔の会場には、1万人以上の人々が集まりました。
その中には、ロスチャイルド男爵夫人、ギリシャの海運王、サヴォワ公爵夫人、エリザベス・テイラーなど、ドレスアップして集まった400人をこえる当時の角界著名人の姿が花を添えて、オークションが終了したときには、売り上げ総額は3200万ドル(47億円)に達します。
今回のオークションに出品していたものは、ウインザー公爵がカルティエやヴァン・クリーフ&アーペルに注文して、婦人に贈った宝石ジュエリーの数々で、デザインの洗練といい、宝石の質の高さといい、まさに20世紀を代表する作品ばかりです。
たとえば、150カラットのカボションのサファイアの上に、プラチナ地にダイヤやサファイアを鏤めたゴージャスな豹が玉乗りしているデザインのブローチ。
あるいは、結婚式に身につけていたヴァン・クリーフ&アーペルのブレスレットは、時計型の文字盤に絶品のサファイア45個を埋め尽くして、数え切れないほどのダイヤが縁取られているデザイン。
そして、羽根の部分にルビーやエメラルド、サファイアをびっしり配した、名高いフラミンゴのカルティエのブローチは1億800万円で落札されています。
また、ウインザー公爵夫人が40歳の誕生日に、ウインザー公から贈られたルビーとダイヤのネックレスは、3億8000万円で落札された、などなど・・・。
映画を超えたストーリー
1936年12月、イギリス国王のエドワード8世は、ラジオを通じて国民に退位の意思を表明しました。
「数時間前、私は国王として最後の義務を終えました。
あなた方はすでに私が王位を去らねばならなくなった理由を知っておられる。
私はこれを決意するにあたって、長年ずっと奉仕しようとしてきたこの国のことを一度も忘れたことはありません。
しかし、あなた方に分かっていただきたいのですが、私は愛する女性の支えなくしては国王としての重責を担い、その義務を果たすことができなくなったのです・・・」
愛のために一国の国王に、王位を捨てさせた女性・・・、この言葉からは、どのようなイメージを思い浮かべられるでしょう。
それこそ、文字通りシンデレラの姿であり、見事なブロンドとつぶらな瞳に抜けるような白い肌、それは、輝くような絶世の美女・・・。
ハンサムな独身のプリンスなら、どんな理想的な美女も、よりどりみどりだったはずで、事実、当時は適齢期のヨーロッパ中の王女や姫君たちが、手ぐすね引いてエドワード8世の妃の座を射止めようと待ち望んでいたのですが、現実はあまりにもかけ離れたものだったのです。
イギリス国王が王位を賭けてまで愛した女性は、アメリカはボルチモア生まれの平民女性で、しかも二度の結婚暦があり、それにもう若くて特別美しくもなかった・・・。
馴れ初め
ふたりは、1931年1月、当時の皇太子の愛人だったテルマ・ファーネス夫人がロンドン郊外に持つ別荘でのパーティで初めて出会うことになります、ウオリス34歳、エドワードは36歳です。
ウオリスはそのとき風邪気味だったのです。
「お国にあるようなセントラルヒーティングが、イギリスにはありません。さぞ、ご不自由でしょうね。」
と、皇太子が言うと、ウオリスはリラックスした微笑で答える。
「殿下はわたしを少々失望させましたわ」
「それはまた、どうして?」
「アメリカ人は、大抵その質問をされますのよ。
殿下はもう少しユニークなことをおっしゃる方だと思っていましたのに」
お世辞を言われることに慣れていたエドワードは、この大胆な発言に驚きました。
相手はアメリカ人の平民の女性なので、普通はイギリスの皇太子と会話できるだけでも普通なら光栄の極みでしょう。
それに対して、この女性はなんとリラックスしているのだろう、そして、この上品でありながら、気取りのない態度は・・・。
皇太子はウオリスのなかに、これまで自分が出会ってきた女性たちにはないものを発見したのでしょう。
リラックスした態度、飾り気のない物言い、自然な温かみのあるしぐさ、そして、その陽気な笑い・・、皇太子は、彼女のそばにいると心から寛げる自分を感じたのです。
そのときから、皇太子は彼女の家に出入りし、ウオリスも彼のエスコートで社交界に顔を出すようになり、次第にふたりは互いに愛し合うようになっていったのです。
しかし、彼はただの平凡な男性ではなく、いずれ国王になる身であり、そして、ウオリスも独り身ではなく、別の男性と結ばれた女性だったのです。
愛を貫いて
1936年、父であり国王であるジョージ5世の死去で、皇太子はエドワード8世として即位することになり、今後は、重責ある国王として国民の信望にも応えなければならないし、ウオリスをいつまでも愛人の立場に置いておくわけにもいきません。
そして、エドワードは密かにウオリスとの結婚の決意を固めていたのですが、しかし、二度も離婚したアメリカ人の平民の女をイギリス国民が国王の妻として受け入れるでしょうか。
案の上、イギリス国民は唖然とし、王室関係者もみな、前代未聞のスキャンダルとして眉をひそめることになり、内閣は何度も国王に結婚を諦めるよう働きかけますが国王の意志は揺るがなかったのです。
しかたなく、内閣は態度を硬化させて、国王がウオリスを諦めないなら内閣は辞職すると迫ります。
エドワードは追い詰められます、ウオリスを諦めるか、それとも退位するか、しかし、エドワードの応えは決まっていたのです。
ウオリスなしには生きていけない、もし、国が自分たちを認めないなら、自分はいつでも退位する用意がある。
1936年12月、ついにエドワード8世は退位宣言書に署名して、翌日、ラジオから、ウインザー城において名高い決別放送が流れます。
かくて、「前国王」エドワードの決別放送が始まり、次期国王ジョージ6世となった弟のヨーク大公への臣下の礼をとってから、自分が退位を決意するまでの苦悩を語り、それから6ヶ月後にふたりの結婚式が行われました。
ウオリスはパリのデザイナーたちに60着以上もの婚礼衣装を注文し、その中の青いウエディングドレスと帽子は「ウオリス・ブルー」として風靡したのですが、イギリス王室からは誰も参加しませんでした。
そして、王室はエドワードにはウインザー公の地位を与えるが、ウオリスに公爵夫人の称号を与えることを拒否したのです。
愛の宝石ジュエリー
一生の間、妃殿下の称号を認められなかった婦人のために、ウインザー公は莫大な資産や、自伝の印税、映画化権などの収入を惜しみなく使って、彼女に王妃顔負けの贅沢三昧をさせます。
こうして、彼の財産の大半が、ウオリスの宝石やドレスに消えていったのですが、それらは、ウインザー公の、ウオリスへの生涯変わらぬ愛の強さだったのでしょう。
ウオリスの残した宝石類の総額は5100万ドル(75億円)にのぼり、それは、彼女の遺言にしたがって、パスツール研究所のエイズ研究基金に寄付されました。