宝石物語 日常のストーリー


偶然の出会いには必ず意味がある


大澤周作は典型的な日本人に多いタイプで、いじめを見ても我関せず、痴漢される女性を見ても我関せず、面倒なことに首を突っ込むのは、まっぴらゴメンの事なかれ主義者です。


それは、有田ふみというおばあさんと出会うまでは・・・。


「危ない、何をやっているんだ!」


大澤は、両手いっぱいに荷物を抱えて、のんきに車道を歩いているおばあさんに気がつきました。


そのおばあさんの方向に自動車がスピードを落とさずに走ってきていたのです。


我関せずの大澤だったのですが、なぜか、咄嗟におばあさんの腕を掴んで歩道に引っ張り上げることができ、自動車は急停止しましたが、幸いに、そのおばあさんにケガはありませんでした。


その大澤の行動に、いっしょにいた妻の千鶴子は意外な印象を持って驚きます。


アパート探し

「おばあさん大丈夫?気をつけてね」


大澤は声をかけます。


おばあさんは「大丈夫よ、ありがとう。ところであなたたちはここら辺の人?」


「違いますよ、でも、この辺はいいところだからと思って、部屋を探しているところなんです」


「あら、じゃあ私の住んでるアパートにいらっしゃい、空いているわよ」


と、おばあさんは面倒見の良い性格で、すぐに相手のことを考えます。


お互いの自己紹介もそこそこに、大澤夫妻はアパートを探していたので、さっそく見に行くことにします。


そこは、大澤夫婦にとって思い描いていたイメージとピッタリだったので、すぐに気に入りました。


そして、ふみさんと同じアパートで、それも隣同士で暮らすことになったのです。


ふみさんは、普段は学校の司書をしていて独り身です。


それに、ボランティア精神にあふれた面倒見の良い女性で、大澤とは正反対の生き方をしているのです。


引越しの荷物の整理が終った頃も、ふみさんは、荷物の片付けや分からないことを丁寧に大澤夫婦に教えてあげていました。


やっかいな事

皮肉なことに、いつもはやっかいな事は避けたい大澤に、ふみさんがいつも大澤に面倒をかけるという事が何度か続きます。


例えば、ふみさんと近所で会ったとき、ふみさんが足をくじいていたので、病院まで抱えていってあげることになったり、彼女の部屋のドアがしっかり閉まらなくて困っているときは、ドアネジの調整をしてあげたり、といった具合です。


「まったく、歩く災難だな、ふみさんは」


妻には、毒づいて言うのですが、大澤は、ふみさんのためになることは苦にならなくなっていたのです。


さらに、ふみさんが面倒をみている学校の放課後の子供たちのために、手伝いをして時間を割くようになり、大澤は、ひとのために行動することに爽快感のような感情を持つようになっていきます。


ルビーの指輪

「ところでふみさん、独り身と言っておられましたが、その薬指にしている赤い石の指輪はとても素敵ですね。


彼氏にでもらったのかな?私が見ても輝いているのがわかりますよ」


と大澤は尋ねます。


するとふみさんは、思い出すように話しを始めました。


「これはね、私が若い頃に好きな人からもらったルビーの指輪なの。


だけどそのひとは戦争で亡くなってしまったの。


ルビーなんて当時は珍しくてね、もらったときは何の宝石だか私には分からなかったの」


「へえ、とてもおしゃれに敏感な方だったのですね」と大澤。


「そうよ、その好きだったひとのお兄さんが宝石商だったから、その方から譲ってもらったのだと思うわ」


ふみさんは懐かしそうにやさしい顔で、母親が子供に昔話を聞かせるように語りました。


お別れ

「もう大丈夫みたいね」


ふみさんは、大澤に語りかけるようにして亡くなります。


実は、大澤と出会ったときには、すでにふみさんは病に冒されていて、余命いくばくもない状態だったのです。


この利己的なおにいちゃんを何とかしてあげたい、ふみさんは無意識にそう思っていたのでしょう。


そんな思いが大澤の前でトラブルを発生させ、大澤が助けなければならない状況を作り出していたのです。


寝ている場合じゃないわよ!

素敵な隣人を失って、大澤と妻の千鶴子は、ふみさんの思い出を繰り返し語りあっていた、そんな日のある夜の寝静まった頃です。


「寝ている場合じゃないわよ」


真夜中の1時過ぎに、大澤は懐かしい声を聞いて目が覚めます。


寝ぼけていて、ふみさんを探そうとしたら、部屋の外で煙が発ちこめているのが見えました。


「こりゃたいへんだ!」


大澤はすぐに妻を起こし、アパートの住人たちにも火事を知らせて回り、そして、みんなを非難させました。


このアパートに来る前の大澤だったら、いったいどんな行動をしていただろうか、大澤は、自分で考えただけでも背筋に寒さを覚えました。


ひとの出会いには必ず意味が隠されている、それを素直に受け入れたときに、大澤のように何かが変わり始めるのです。

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