ジャクリーン ケネディ夫人 ファーストレディの運命
サザビーズ
1996年4月、ニューヨークのサザビーズのオークションで、故ジャクリーン・ケネディ オナシス元大統領夫人の遺品である、40カラットのダイヤモンドが260万ドル(2億7600万円)で競り落とされました。
このダイヤは、ジャクリーン夫人が、再婚相手の海運王である、故オナシス氏からプロポーズされた夜に送られたもので、もうひとつの、故ケネディ大統領からプレゼントされた指輪は41万ドル(4300万円)で競り落とされました。
相場よりかなり高額での落札に、改めてアメリカ国民の間に、ケネディ神話が生きていることを実感させるオークションだったのです。
出会い
1961年のアメリカで、おとぎ話のようなカップルが誕生します。
43歳の若き大統領ジョン・フィッツジェラルド・ケネディと、31歳の美貌の夫人ジャクリーンです。
ジャクリーンはファーストレディとして一躍、華やかな表舞台に立つことになりました。
ジャクリーンが身につけたドレスや宝石は、アメリカ中の女性が彼女の真似をし、あっという間にアメリカ中に広まっていきます。
そのジャクリーンが、後の第35代アメリカ大統領ジョン・フィッツジェラルド・ケネディと出会ったのは、1951年のこと。
名門ケネディ家の御曹司と、パリ大学留学から帰ったばかりの美女を、お似合いのカップルだと思ったケネディの友人が引き合わせたのです。
出会ったその日から、ジャクリーンは、ケネディが自分にとって運命の男になるだろうと直感したといいます。
それは的中して、それから2年後の1953年にニューポートの教会でふたりは結ばれることになりました。
ケネディ暗殺
しかし、幸福は長続きしませんでした。
ケネディ大統領として、アメリカ南部のダラスの町を凱旋しているときにライフルで撃たれ、オープンカーから逃げ惑うジャクリーンの「オーノー!」という叫び声は、テレビを通して全米で放送されました。
31歳の若さで世界のトップレディになったジャクリーンは、今また34歳の若さで、世界を揺るがす悲劇のヒロインになったのです。
悲しみに耐える未亡人に世界の同情が集まりました。
それは、アメリカ国民がジャクリーンに持つ理想の妻のイメージとなっていったのです。
偉大な夫の死を悼みながら、遺児を立派に育てるだろうという・・。
現実
しかし、ジャクリーンは1968年に、ギリシャの海運王で大富豪であるオナシスと再婚してしまったのだからアメリカ中が怒りまくったのです。
「ジャクリーンは小切手と結婚!」
「アメリカは聖女を失った!」と、偉大な夫の思い出に生きるヒロインは一変、金めあての結婚をした裏切り者に成り下がってしまったのです。
そもそも、ジャクリーンとオナシスの出会いは、まだケネディ大統領の生前です。
1963年に次男のパトリックの病死で、心に深い傷を受けていたジャクリーンのもとに、一通の招待状が届く。
「私のヨットにおいでになりませんか?」
ギリシャの海運王であるアリストートル・ソクラテス・オナシスからです。
かつて、夫とともに招かれたことのある、豪華なヨット「クリスティナ号」。
子供を失ったばかりのジャクリーンは、いったいどんな思いで地中海に行ったのだろうか。
彼女を迎えたオナシスのヨットは、一面が薔薇の花で埋まっていたという。
ヨット上からジャクリーンは夫に、こんな手紙を送っています。
「私は今、世界一素敵な船の中にいます。
それも、世界一素敵な男性といっしょに。
彼はまるで地中海の光を一身に浴びて生まれてきたみたい。
父親ほどの年なのに、若々しくて・・。
誰こことか、もうお分かりでしょう?」
ケネディは直ちに帰国するように命じたが、ジャクリーンはそれを無視しました。
当時の彼女はファーストレディの座に未練はあっても、夫への愛はすっかり冷めていることが周囲には一目瞭然だったのです。
その不和の原因は、何と言ってもケネディ大統領の派手な女性関係です。
何人もの女たちが、結婚後も、代わる代わる彼のベッドを占領していたのです。
大統領に就任してからも、ケネディと美しい女優やコールガールとの噂は絶えなかったといいます。
ダラスの事件後
夫であるケネディ大統領の死後、ジャクリーンとオナシスの仲は急速に深まっていきます。
ジャクリーンはクリスティナ号でのパーティにしばしば出席し、オナシスは、パリやニューヨークで高価な宝石を買っては彼女にプレゼントします。
ジャクリーンが彼のプロポーズを承諾するまでの1年間に、オナシスはネックレス18点、ブレスレット23点、ブローチ17点、指輪20点、そして、腕時計7点を贈ったというのです。
そして、ふたりの電撃結婚はまさに世界中が仰天し、聖なる未亡人は、まるで高級娼婦のように非難されました。
よりによって、相手がオナシスとは・・。
確かに彼は世界有数の大金持ちだが、家柄も教養もない成り上がりではないか。
世間の非難を一身に浴びた新妻を、オナシスはさらに数多くの宝石を贈って慰めます。
結婚から3年以内に、彼は300万ドルを超える宝石を新妻に贈ったのです。
1968年当時の日本の価値では10億円以上になります。
中でも、ジャクリーンにプロポーズしたときに贈った40カラットのダイヤの指輪は伝説になっていて、それこそが、ジャクリーンの死後、サザビーズのオークションで260万ドルという高値で競り落とされたものです。
エピローグ
オナシスの晩年、ジャクリーンとの仲は、かなり険悪になっていたようです。
ジャクリーンの子供たちがオナシスを嫌ったこと、オナシスの娘クリスティナがジャクリーンを毛嫌いしたことなど、不和の原因はいろいろ推測されます。
が、何と言っても直接の原因は、ジャクリーンの金使いの荒さだったでしょう。
さすがのオナシスも「彼女との結婚は毎月、目を剥くような請求書をつきつけられることなのか」と嘆いたという。
また、娘のクリスティナは、あの女がケネディ家の悲運をオナシス家に運んできたと嘆きます。
そして、オナシスの死後に発表された遺言は、およそジャクリーンへの愛が感じられるものではなかったのです。
総額10億ドル(1200億円)と囁かれる遺産のうちで、ジャクリーンに残されたのはわずか1000万ドル(12億円)だったのです。
残りの大半は娘のクリスティナに贈られることになっていました。
憤慨したジャクリーンは、義弟のエドワード・ケネディ上院議員まで動かして、クリスティナを相手に1年半の法廷闘争を繰り広げることになります。
その結果、オナシス家との一切の関係を絶つという条件で、2000万ドル(24億円)の追加遺産を受け取ることで合意した・・・。
それにしても、世界一有名な大統領と世界的な大金持ちという、ふたりの男と結ばれながら、その陰に隠れることなく、常に強烈な個性を発揮し続けたジャクリーンという女性。
彼女はいったい何者だったのでしょう。
ジャクリーンという女性は、夜毎の国際的名士とのパーティや膨大なショッピングに大金を費やした、ただの贅沢好きの女だったのでしょうか。