ファベルジェ 卵のジュエリー
華やかに活躍して、一代で終わったジュエリーブランドであるロシア人のピーター・カール・ファベルジェ(グスタフ・ファベルジェ)。
ロシア王室の御用達になり、独特の卵型の宝石を提案した稀有の存在。
そして、1870年に創業して、ロシア革命という時代に翻弄されて、あっけなく消えていった幻のジュエラー。
ファベルジェは、ジュエリーというより芸術の域に入っているような独特なものが多いのが特徴です。
ロシア王室に認められるきっかけになった、卵型デザインジュエリーのイースターエッグがもっとも有名です。
作品の魅力
ファベルジェの作品は、ロシア王室御用達なので、お金に糸目をつけないで製作したものも多く、さらに、ファベルジェが作りたいものを製品にするので、個性のあるものが多くあります。
そして、完璧な作りとデザインが特徴です。
エッグでも、動物を彫った小さな置物でも、ギロッシェ・エナメルを用いた時計、カップやペンなどの小物でも、全て非の打ちどころのない、隙のない作品、それがファベルジェであり、ほかのどのブランドも類がない精微な完璧さです。
ポリシーは、「製品に使われている宝石の即物的な金額を製品の価値とするのではなく、”作りだされたもののデザインや作り、そして、そこに含まれる哲学こそが価値であると信じる”」ことなのだそうです。
イースターエッグ
イースターエッグというのは、日本人には馴染みがないと思います。
しかし、東方正教会を奉じる人々にとってはキリスト教に基づく祭りのなかで、キリストの誕生を祝うクリスマスよりも、キリストの復活を祝うイースター祭のほうが大事なことであるので、その祭りを祝うために復活のシンボルとして人々は卵を彩色したものを交換し合うのです。
そこで、ファベルジェのアイデアは、皇帝がお妃に贈るイースターエッグを、宝石ジュエリーと同じ金銀細工で仕上げるというものでした。
最良の技術者を集めて
ファベルジェの面白さは、自分が手を下して作ることは一切していないことです。
彼は、あくまでコンダクターとして、最良の技術者を500人も集めて指揮することで、モスクワとサンクトペテルブルクの工房で膨大な数の作品を作り続けたのです。
しかも彼は、自分の刻印の傍らに実際に作った職人の刻印を押させることで、極めてフェアな態度で技術者を尊重していました。
ファベルジェの作品数は膨大なもので、数千を超えるが純粋なジュエリーは少なく、その多くは皇帝や貴族が身の回りに置く実用品、或いは時計、花瓶、カップ、置物、写真立て、文房具、煙草入れなどが多いのです。
ファベルジェは、こうしてロマノフ王家に膨大な数の作品を納めると同時に、タイ王国のチュラーロンコーン王にも招待され多くの作品を作り、英国王室のためには、サンドリンガム宮殿に飼われていた動物をモデルに、いろいろな石を彫った置物を納めています。
ファベルジェが活動したのは実質的には、わずか20数年でしかなく、この間に彼はイースターエッグのほかに、膨大な数のギロッシュ・エナメルを使った実用品や、石を彫った動物の置物に、同じく石を彫って纏め上げた生け花など、極めて多彩な作品を創り出しています。
デザインとしても、作りの面でも今日に至るまで彼の作品を凌ぐものはまったく出ていないのです。
ロシア革命という荒波
ファベルジェは、1917年のロシア革命に追われてスイスに亡命して3年後に亡くなります。
弟のアガトンは革命軍に捕らえられて、ロマノフ王家の財宝の整理などを手伝うが、ファベルジェの店が復興することはなかったのです。
後にも先にも、ファベルジェはファベルジェであり、その模倣者すら出ていないことを思えば、ロマノフ王家300年の歴史の最後に、わずか20年だけ花開いた奇跡、それがファベルジェであったのかもしれません。