アントワープ ダイヤモンドの歴史


ベルギー アントワープ ダイヤモンドの街

 

ベルギー アントワープ ダイヤモンド

「何人も、ダイヤモンドであろうとルビーであろうとエメラルドであろうとサファイアであろうと、にせものの宝石を購入したり、売却したり抵当に入れたり譲渡してはならない。

 

違反者には25デュカの罰金を科す。そして、その1/3は君主の、1/3は町の、1/3は報告者のものとする」。

 

1447年にベルギーのアントワープで出されたこの法令は、ブリュージュにつづいて15世紀のヨーロッパにおいて、ダイヤモンド細工の中心地となったこの町で、宝石の取引が非常にさかんだったことを裏付けています。

 

アントワープがこのようにめざましく発展した理由には、当時この地を支配していたポルトガルのブルゴーニュ公の支援があって、その代々のブルゴーニュ公はダイヤモンドに魅了され、アントワープの宝石産業を発展させることに力を注いだのです。

 

そのころのポルトガルでは、アラビア半島南端のアデン湾、インドのゴア、そしてゴルゴンダをはじめとするインドの主要なダイヤモンド産出地を支配下に置き、膨大な数のダイヤモンドをベルギー アントワープへ持ち込んでカットさせていました。

 

宝石細工師や金銀細工師のところには注文が殺到し、彼らはダイヤモンドを含む、ありとあらゆる種類の宝石をカットするようになります。

 

そして、ダイヤモンドのカットを専門とする細工師が登場し、1582年10月に「ダイヤモンド・カット職人組合」ができると、それまでダイヤモンドのカットで膨大な利益を得ていた宝石細工師や金銀細工師は大打撃を受けるようになります。

 

裕福な商人の移住

そのような状況を経ばがら、やがて、アントワープのすべての地区がダイヤモンドのカットを専門とするようになり、アントワープはヨーロッパで第1の経済都市になっていきます。

 

フランス王のフランソワ1世もまた、宝石のカットをパリのカット職人ではなく、誰もがその技術力を認めていたアントワープの職人に任せるようになり、ーロッパの裕福な商人たちが、ベルギーでダイヤモンドと宝石で世界一になったアントワープに居を構えるようにもなります。

 

たとえば、イタリアからはポルトガルの航海者であるヴァスコ・ダ・ガマや、マゼランの遠征に出資したアファイターティ家が、さらにポルトガルからは16世紀末にアントワープで1.2を争うダイヤモンド商人となったシモン・ロドリゲス・デヴォラ男爵がやってきます。

 

1631年の時点で、アントワープには164人のダイヤモンド・カット職人がいました。

 

複雑な人種の問題

しかし、そのころポルトガルのプロテスタント教徒やユダヤ教徒の商人、異端審問を恐れたアントワープのユダヤ人ダイヤモンド商人が、プロテスタント教徒やユダヤ教徒も広く受け入れていた、ドイツのフランクフルトやオランダのアムステルダムへ次々と移住し始めたため、ダイヤモンド取引の場もそれらの都市へと広がっていきました。

 

現在のアントワープ

現在でもアントワープは「世界最大のダイヤモンドの街」といわれていて、世界の半分以上のダイヤモンドがアントワープの取引所で売買され、加工・研磨され、市内には約1600社のダイヤモンド会社があり、4ヶ所のダイヤモンド取引所があります。

 

加工職人は数千人おり、カット技術は世界でもハイレベルで”Cut in antwerp”というラベルは一流の証とされています。

 

15世紀にはすでにアントワープはダイヤモンド産業が活況を呈していて、当時、ダイヤモンドは主にインドから運ばれ、アントワープの港に荷揚げされていたのですが、それをさらに決定的に深めたのがユダヤ人です。

 

ダイヤモンドの取引は長い間、ユダヤ人によるものであり、アントワープにはユダヤ人街があって、その推定人口は1.5〜2万人といわれています。

 

19世紀、ダイヤモンド研磨の経営者たちは、アントワープ中央駅近くのカフェに集まり、いろいろな相談をし合うようになりつつあり、いつの間にか商談の場も兼ねるようになって、改めてメインストリートのペリカン通りにビルを構え「ダイヤモンド・クラブ」を発足させました。

 

そこへは、世界各地から売り手と買い手が集まり、世界屈指の研磨済み(ルース)ダイヤモンド取引所となっていきます。

 

これからは

歴史の過程には戦争などの影響で不景気になったときもありますが、世界で取引されるダイヤモンドの60%がアントワープの4ヶ所のダイヤモンド取引所で売買され、過去にはその取引量が80%を占めたこともありました。

 

ただ、最近では、インドでの取引・加工が急速に増えてきており、これが、アントワープにとっては大きな脅威となっていて、とくに、インドの安い人件費、商取引に税金のかからないドバイ(UAE)での取引などが、インドなどのシェアを高めているとされてます。

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