オルロフ 卵をふたつに割ったようなダイヤモンド


オルロフ ダイヤモンド クレムリンの宝物

 

オルロフ ダイヤモンド

仮説

この有名なオルロフ・ダイヤモンドの歴史を理解していく場合には、伝説、仮説、そして、事実を紐解きながら検証していく必要があり、それらを整理しながら解説します。

 

現在、有力になっている、元々はインドのヒンズー教寺院にあった、787カラットの”グレート・ムガール”というダイヤモンドが歴史に翻弄されながら、ヨーロッパで再び表舞台に”オルロフ・ダイヤモンド”として、登場したとするものです。

 

その空白期間の経緯は、あるフランス兵士が脱走し、インドまで逃げてスリランガムで職を得たのですが、しばらくして、そのフランス兵士は、スリランガムの寺院にヒンズー教の有名な偶像があって、その両眼には今まで見たこともない大きなダイヤモンドが嵌め込まれていることを知り、それを盗み出してヨーロッパに持ち返ったというものです。

 

オルロフ・名前の由来

オルロフの名前の由来である、グリゴリー・グリゴリェヴィッチ・オルロフ伯爵(1723-83)は、ロシアの貴族であり陸軍士官で、さまざまな戦争の作戦に参加していて、その時の国王がピョートル3世であり、その妻はエカテリーナ夫人で1759年頃、オルロフが首都で過ごすようになるとピョートル3世の妻であるエカテリーナ夫人に気に入られて愛人となります。

 

そして、オルロフは自分の弟とクーデターを企んで、ひ弱だったピョートル3世を帝位から追放して、その妻であるエカテリーナが大帝として執政するように仕向けます。

 

そのエカテリーナは、愛人であるオルロフを高級副官、技術長官、最高司令官に任命してオルロフと結婚しようとするのですが、当時の政治顧問である、パニン伯爵にその意図を読まれて阻止されることになります。

 

それでもオルロフは、さまざまな公的な資格でエカテリーナに仕え続けていましたが、彼女がほかの男を愛人にしていることが分かり1775年にロシアを去ります。

 

オルロフ・ダイヤモンドの登場

ロシアに”オルロフ・ダイヤモンド”が登場する経緯は諸説ありますが、一番現実的なのはオルロフがロシアを去る2年程前に、アムステルダムのサフラスが持つ巨大なダイヤモンドを、エカテリーナが買うことになったというもので、その際にエカテリーナは、仲介人を立てて交渉しています。

 

オルロフダイヤモンド

エカテリーナが仲介人を使った理由は、自らの浪費癖を悟られずに購入できること、もうひとつは、一国の元首が直接、価格交渉するのははしたない、と考えたからです。

 

そして、オルロフがこの任務にあたり、自らの名前をダイヤモンドに冠する名誉を頂くことができたというもので、そのような経緯で手に入れた”オルロフ・ダイヤモンド”は、ロシア皇帝のための笏(杖)に取り付けられました。

 

それは、仮説で伝えられるオルロフ・ダイヤモンドの前身である、グレート・ムガールの787カラットよりかなり小さい、189.6カラットになっていましたが、それでも高さ47.6mm、幅31.7mm、長さは34.9mmの最大級のダイヤモンドに変わりはない、卵をふたつに割ったような比類なきダイヤモンドなのです。

 

クレムリンにて

現在、”オルロフ・ダイヤモンド”は、モスクワのクレムリン宮殿内に陳列されていて、世界でも最大級の宝石と宝飾品コレクションのひとつである「ダイヤモンド財団の財宝」のなかで、最も貴重な宝物のひとつとなっています。

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