ホープダイヤ カルティエのストーリー

ホープ ダイヤモンド カルティエの企み

 

ホープ ダイヤ

ホープ・ダイヤモンドと名の付く前の時代に、一般に認められている、このブルーのダイヤモンドについて知られている事実で最も古いものは17世紀のことで、産地はインドのゴルコンダ近郊の鉱山と言われています。

 

その流通経路で、確かなこととして知られているのは、1669年に、貿易商のジャン・バティスト・タヴェルニエが、東洋からブルーのダイヤモンドを買い取って、フランスのルイ14世に売っていることでした。

 

シェイプは、典型的なインドカットで、原石から最小限の重量ロスで済むようなカットがされていました。

 

なお、1975年にスミソニアン博物館で開かれた国際宝石会議において、本来、”ホープ・ダイヤモンド”は、110カラットほどであったと論じていて、それは、その時代の所有者の好みなどで幾度かに渡ってカットされていくうちに、現在の45.50カラットになったともいわれています。

 

その理由のひとつに推測されるのは、東洋では珍重される大きさですが、西洋の好みでは、輝きが優先される傾向にあるので、大きさを若干犠牲にしてでも、そのダイヤモンドにとって、より光の屈折を出せるカットを施す場合があります。

 

ホープ・ダイヤモンドとして

”ホープ”ダイヤモンドの名前が付いたのは、ホープ社という銀行家の家系である、ヘンリー・フィリップ・ホープが、このブルー・ダイヤモンドを買ったときからになります。

 

1762年に設立されたホープ社は多くの国に貸付を行っていて、国際的な評価を受けている会社でしたが、1800年以降は、ホープ社の富も衰え始めて1813年頃には没落していくことになります。

 

そして、個人としての美術品などを含めた収集家であったヘンリー・フィリップ・ホープは、資産として持っていたホープ・ダイヤモンドや美術品などの莫大な富を、自身が子供がいなかったために、3人の甥に分配します。

 

それからは、その一族や娘婿がホープ・ダイヤモンドを譲り受けていくうちに、1909年にはアメリカに登場することになります。

 

カルティエの思惑

アメリカでは、ピエール・カルティエが、パリのディーラーであるロズノーからホープ・ダイヤモンドを買うことになります。

 

ホープ ダイヤ

カルティエはまず、ホープ・ダイヤモンドをガードルにファセットカットを施して、それをマクリーン夫人に売り込みにき、そのマクリーン夫人は、金鉱で富を得たトーマス・ウオルシュの娘で自身も資産家です。

 

そして、ホープ・ダイヤモンドが、所有者は勿論、触っただけの人間すら不幸をもたらすという話を言いふらしたのは、どうやらカルティエのようなのです。

 

それは、マクリーン夫人にとっては、まったく反対に幸運をもたらすのだという話をカルティエにしたことが、彼の事業者としての発明の才能を刺激したに違いないのです。

 

それは、時代背景を考慮して見ていった場合、歴史に出てくる著名なダイヤモンドに関しては、今と比較にならないくらい一国の経済にとってダイヤモンドの金銭的な価値はとても大きいものでしょうし、小さくて持ち運びにも便利なので、時の権力者の様々な思惑や、欲望が絡み合って奪い合いになることがあるだろうことは想像できると思います。

 

ハリー・ウィンストン

その、マクリーン夫人が亡くなると、資産総額125万ドルくらいあるのではないかという宝石コレクションは、すべてハリー・ウィンストンが買い取ることになります。

 

ウィンストンは、いわゆる”ホープの呪い”についてはほとんど関心を示さず、何度もこれを持って大西洋を往復していて、特に彼は、次のような話をするのを好んでいました。

 

数年前に、私は妻とポルトガルのリスボンへ旅行をしました。
そのときにふたりの息子を連れていったのですが、仕事の都合で、妻とは一日違いで、それぞれ子供をひとりずつ連れて帰ることになりました。

 

金曜日の夜に妻がリスボンからニューヨークに発って、私は翌日の飛行機に乗るように手配したのです。

 

妻の飛行機は時刻どおりに給油のためにサンタ・マリア(アゾレス諸島)に着陸しましたが、そこで、ちょっとしたエンジントラブルがあって、2〜3時間遅れたのです。

 

修理が終るまでの間に乗客たちはおしゃべりをしていて、私の妻も隣のひとと話をしていて、それで、妻が同じ飛行機に乗っていることが皆に知れることになったのですが、ある男などは、わざわざ飛行機を変える手続きをしたそうです。

 

そう、今回の少し前に”ホープ・ダイヤモンド”を購入したことが、世間の話題になっていたのです。

 

翌日、私は飛行場へ行く途中で、妻からの電報を受け取り、内容は無事に着いたというもので、私はその電報をほかの書類といっしょにポケットに突っ込みました。

 

飛行機に乗ると、いつも寝るのですが、今回は隣の席が空いているのでおかげでゆっくりと眠ることができるから嬉しかったのです。

 

私が目覚めると、ちょうどサンタ・マリアの救助に降りたところでしたので、外に出て気分転換をして、時間が来たので、飛行機に戻ると、空いていた隣の席がふさがっていました。

 

ところが、その男は私のことを何も知らずに、自分はいかにしてホープ・ダイヤモンドの持ち主の女房と同じ飛行機でいるのを逃れたかを、一生懸命しゃべるのです。

 

私は、話の合間に「迷信などは信じないですけれどね」と彼に言いましたが、それでも彼は、「でも、運命を賭けることはないでしょう。
それで私は、即座に飛行機を乗り換えることにしたのですよ、だからこのとおり、ピンピンしてるでしょう。」

 

彼は長い間、饒舌に話をしていましたが、そのうち静かになって、私はまた寝ることができたのです。

 

ところが、また隣の男がなにやら話し始めて、そして、「あの飛行機は、無事に着いたのかね」って言うものですから、私も我慢できなくなり、すぐにポケットから電報を探して、彼に渡したのです、何も言わず。

 

その男は、何も言わずに私を見つめていましたよ、それからは、彼は二度と話はしませんでしたね。

 

スミソニアンへ

ウィンストンはホープ・ダイヤモンドを所有していた9年間に、それを活用して、何百万ドルもの慈善事業のための基金を集めるために何千キロもの旅をしています。

 

そして、1958年、ウィンストンは”ホープ・ダイヤモンド”をアメリカのスミソニアン博物館に寄贈します。

 

ウィンストンは贈呈にあたり、これが、やがてはロンドン塔の宝石コレクションに匹敵するような国家的なコレクションになることを希望します。
と述べています。

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