華麗なハリー ウィンストン ダイヤ

ハリー ウィンストン ダイヤ King of Jeweler

 

ハリーウインストン ダイヤ

1920年に、ダイヤに特徴があるハリー・ウィンストンはアメリカ人であり、ニューヨークにお店を出したのが始まりです。

 

彼の父親は、ロサンゼルスで宝石時計店を営んでいたことで、ハリーウインストンは父の元で基本的な事を習得します。

 

専門的な教育を受けた訳でもなく、大きな宝石商で鍛えた訳でもないのに、ハリーウインストンはダイヤを始めとした宝石商として秀でた存在に成長していくことになります。

 

ハリーウインストンは始めの数年間、ニューヨーク5番街から広がるダイヤモンド街で商売をしていたようですが、今も昔も、ダイヤモンドのサイトに繋がる卸の業界は、いわゆるコネがないと入り込めない世界であり、新参者にはハードルが高い社会になっています。

 

このような状況を知ることになったウィンストンは、新しい分野を模索し始めます。

 

躍進

それは、ダイヤを始めとして大きな宝石を使った資産性としても高い価値を持った宝石類だけを扱うことで優位性を見出そうとしたのです。
それは、見事な発想でした。

 

第一次世界大戦が終った頃に、ヨーロッパでは多くの王侯貴族やその一族が国を追われるなどしてダイヤを含めた莫大な宝石類持って国外に逃れることになります。

 

そうした宝石は、必要な時に換金するためですから、それを買えるのは戦争をしていなかったために経済を伸ばしていたアメリカだったのです。

 

また、アメリカ国内でも成金たちの初代が引退する時代を迎えつつあり、そうした中で、上手に2台目が相続できるとは限らず、それらのダイヤを含めた多くの宝石類もまた、所有者の手を離れる機会が多くなります。

 

そして、ハリーウィンストンは大きな宝石を買い続けたのです。

 

ハリーウィンストンの目的は、それらを転売することではなく、古いカットが施されたものを、時代の先端であるカッティング技術を施し、現代の好みに合ったデザイン枠にセッティングして付加価値を付けることにあったのです。

 

カットが古いからといって新しくしないといけないというものではないのですが、ハリーウィンストンの顧客はそういうデザインを好んだのでしょう。

 

ハリーウィンストンは、第二次世界大戦の後でも、ダイヤを含めた大きな宝石を買い続けて、そして、新しく仕上げて売り続けました。

 

その間も顧客は増えて、アメリカのみならず、アラブ諸国やインドにまで広げていくことになります。

 

展示会と寄付

さらにハリーウィンストンの素晴らしいことは、売り物にしない宝石類を、「宝石の王宮」と名づけた展示会を全米で展開して、その収益を病院などの財団に寄付していることです。

 

さらに、こうした展示会をすることで、高品質で大きな宝石が、人々を魅了できるものであることを証明しました。

 

彼の手に入ったホープ・ダイヤモンドもまた、展示会に貢献しています。

 

現在、ハリー・ウィンストンの経営権は、カナダの鉱山会社の手に渡っていますが、上質で大きな宝石の小売店として、今も華やかなラインアップを展開しています。

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