ルイ カルティエの歴史 サクセスストーリー

ルイ フランソワ カルティエ 黎明期の歴史

 

ルイ カルティエ 歴史

黎明期

歴史上のナポレオン戦争でのスペインで、ピエール・カルティエは経験もほとんどない少年兵で捕虜になりそうなところを勇敢なパン屋のおかみさんのおかげでキッチンのオーブンのなかにかくまわれます。

 

しかし、ウエリントン率いるイギリス軍はこれを見破ってピエールは船で収容所へ連行され、彼が再び祖国を見ることができたのはずっと後という歴史上過酷なものでした。

 

さらにその後、1815年になってピエールは、メイドをしているエリザベス・ジュランダンと結婚して火薬入れの製造業者となり、つつましく正直な暮らしを送り、そして1819年、ピエール・カルティエに、後のカルティエの創業者となる息子が生まれて、その息子は、ルイ・フランソワ・カルティエと洗礼名を授けられます。

 

しばらくして、ピエール・カルティエは、火薬入れの製造業者から宝石商アドルフ・ピカールの工房に雇われることになります。

 

後にルイ・フランソワ・カルティエもアシスタントとして働き初めて、次第にフランソワは実績を上げて、その店の責任者として任されるまでになっていきます。

 

初めての店

1847年、知識と実績をつけた、ルイ・フランソワ・カルティエは、パリに店を開きますが、、この時代は、この小さな店に輝ける未来が待っていることを予期するものは少なかったのです。

 

それは、当時、フランス国王・ルイ・フィリップの廃位から第2帝政成立までの期間は、高級品専門店にとって、とても困難な時代でした。

 

競争は厳しかった上に、カルティエが店を構えていたパリのユウスターシュ協会地区が商業地区として発展するような見込みなど、まるでないかのような状況だったのです。

 

経済の急成長

しかし、19世紀の産業革命を経て1900〜1915年には、かつてないほど経済の急成長が起こることになります。

 

それは、さまざまな通信の手段が開発され、植民地から得られる膨大な富はヨーロッパへと流れ込み、科学技術の進歩は人類の明るい未来を約束しているかのような活況を呈していました。

 

ルイ・フランソワ・カルティエが大成功を収めたのは、18世紀後半の消費経済の黎明期から各国の国家の貴族たちを顧客にしていったことがあげられます。

 

その結果、カルティエは、イギリス国王エドワード7世のほか、シャム(現在のタイ)のパラミンドル・マハ・テュラロンコーン王や、アルバニア国王のゾグの宮廷など、15カ国にもおよぶ王室から御用達を名乗る許可状を授与されることになりました。

 

現在も続いているカルティエのたくさんのアイデアは、20世紀の宝飾デザインに絶大な影響をおよぼしていますが、先駆者の運命として、上流階級相手の宝飾デザイナーたちによってイミテーションと盗作が繰り返し行われて、しばしば、つまらぬものに姿を変えて市場に出回っています。

 

兄弟たちの築いたカルティエ帝国

ルイ・フランソワ・カルティエの経営パートナーであった、息子のアルフレッド・カルティエには、ルイ、ピエール、ジャックという3人の兄弟がいて、カルティエ現象は、この3人の兄弟によって成し遂げられ、彼らの築いた帝国は、やがて、ニューヨーク、パリ、ロンドンと3人で分割されることになります。

※国によっては、自分や自分の父親と同じ名前を付けることが多いので名前の重複があります。

ルイ・カルティエ

長兄のルイ・カルイティエは優れた芸術のセンスと経営能力という、たぐいまれな才能の組み合わせに恵まれていて、芸術愛好家として、さまざまな時代や文化に興味を示し、また、美術品収集家でもありました。

 

彼は、こういった趣味を通して、気の合う友とも出会い、後にカルティエを訪れる名士たちのオブザーバー(顧問・ご意見番)としての任務を果たすことになります。

 

さらに、単なる美術品の愛好者として満足せず、例えば、カルティエのアールデコ様式の作品に東洋的な雰囲気のものが多いのは、イスラム世界と中近東の芸術を研究し、それらの知識がカルティエのデザインに洗練された形で反映されているのはルイの貢献によるところが大きいのです。

 

ピエール・カルティエ

一方、ピエール・カルティエは商才に恵まれ、おそらくどんな事業を行っても成功したであろうと思われ、彼は、実用的な才覚をもった男の例にもれず、アメリカに行く必要性を感じ、そこで、新しい世界のルールに従ってニューヨーク支店の采配を自ら振るいます。

 

そして、ピエールは、何か重大な決断を下さなければならないときに、ジュール・グレンゼルに相談することにしていて、そのニューヨークの店の責任者であるグレンゼルは、ハリウッドのスターたちを食事に招いて接待するなどして、カルティエのイメージ作りに力を注ぎます。

 

ジャック・カルティエ

末っ子であるジャックは、3人のなかでも、一番繊細で内気な性格で、父親のアルフレッド・カルティエが息子たちに、それぞれ店を任せたとき、ジャックの不安定な経営のために、ロンドン支店では芸術的な面で、ほかの店とは異なる方針を取らざるを得なくなります。

 

そんな状況のなかで、ジャックのデザイナーたちに対する提案や、宝石を選ぶ目の確かさは、彼がその道に秀でていて、アメリカのモルガン一族と関係をもつ著名な銀行家出身の妻のネリー・ハルヘスの協力を得て、名士たちの間に顧客を増やしながら、最終的には、インド大陸に領地をもつ主だった王族たちのすべてと取引を行うようになりました。

 

ジャンヌ・トゥーサン

ジャンヌ・トゥーサン

ジャンヌ・トゥーサンは兄弟ではありませんが、パリでお目付け役のような立場でカルティエに参加することになる女性です。

 

周りは彼女を”小鳥のような女性”という表現で、何人ものひとに言い表されていますが、実際は正反対で、ほとんど男っぽいというか、平凡を嫌う性格と直感的なセンスの良い女性であり、洗練されたカルティエのデザインの数々は、彼女の厳しいチェックに合格しなければならなかったのです。

 

また、彼女は自身でデザインすることはなかったのですが、それについては「私は、素描をする能力があるので、誰かの作品について、とやかく言うことができるのだと思います」と語っています。

 

そして、彼女は自分で決めた範囲内で、すばらしい提案や才気に満ちた分析を行いながら、40年にわたってカルティエを見守り続けました。

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